画面の裏のストーリー
幼い日の記憶は遠く、本当にあったはずなのに、夢のなかのことのように思える。一方、夢で見たことは実際そんなことがあった気がするのだ。私の絵の手法では、あらかじめこれを描こうと思ってスケッチをとるということはない。煤けた天井板の木目や節が顔に見えることがあるが、私は画面上に偶然現れた何かのかけらを補筆して絵を作っている。
幼い日の記憶は遠く、本当にあったはずなのに、夢のなかのことのように思える。一方、夢で見たことは実際そんなことがあった気がするのだ。私の絵の手法では、あらかじめこれを描こうと思ってスケッチをとるということはない。煤けた天井板の木目や節が顔に見えることがあるが、私は画面上に偶然現れた何かのかけらを補筆して絵を作っている。
先日、父の2番目の妹である叔母をなくし、葬儀に参列した。そこで兄や叔父、叔母たちに昔のことを尋ねる機会があった。戦後、物資の少ない時代に祖父清が建てたという家について、私は手先の器用な祖父のことだから、実際に大工仕事に加わったのではないかと想像していたが、そういうことはなかったようだ。
数年前、ジョージ=ブッシュ米大統領がイラクの空爆を開始した日、私はささやかな抵抗を示すため、紙にこう書いて食堂に貼った。「イラクの市民を守るためといって、そのイラクの市民が暮らす街を空爆するとはこれいかに!」
芸大で発生学の講義をされていた三木成夫先生は目と手と舌は同じ感覚細胞が分化したものであり、「舐めるように見る」という言葉について、舐めると見るとはもともとは奥の方でつながっている感覚だと言われた。確かに、美しい景色を前に …
よく、どんなものでも見事にイラストに描いてしまう人がいる。描き方を身につけていて、まるでディズニーのキャラクターばりにある種の可愛らしさをもって描いてしまう。群馬大学の同窓である江島達也君もそのひとりだ。例えば友人を茶化 …
私は南会津にあった築150年の古民家の骨組みを伊豆の竹林に移築し廃材を利用してこつこつと作ったが、ほぼ完成となるまでに8年もかかった。壁ができてしまうまでの間は、夜になると滝壺に落ちる川音が聞こえ、竹林とそこに浮かぶ月が …
上の娘が2歳くらいの頃、言葉を間違えて覚えることがあった。私たち夫婦はそれを直して教えてしまうのが惜しくてしばらく家庭内で娘が作った言葉を使っていた。それは例えば、おだいま(ただいま。お帰りとただいまが合わさったものか。 …
私は子どもの頃、あの独特の味のニシンが好きではなかった。ところが成人して、立ち食いそばのニシンのおいしいさに気づき、伊豆に来て子持ちニシンを炭火で焼くと最も好きな魚になってしまった。くせや何か引っ掛かりを感じるものの方が …
海にあこがれて伊豆に住むことにしたが、海辺に暮らした経験がないのでどうしたらよいか見当がつかない。そこで結局、渓流が眺められる竹林の中に住むこととなった。それでもたまに、海岸線を車で走ると気持ちが晴れる。また嵐のあと須崎 …
さて、次はどんな建物にするかが問題だ。当初、ログハウスなら構造も割と単純で素人でも組み立てられるのではと考えたが、どうもあのバタ臭さが鼻についた。そのうち書籍を通じて、一棟ずつ違った表情をもつ古民家の世界を知ることになる …