ストロー男

海にあこがれて伊豆に住むことにしたが、海辺に暮らした経験がないのでどうしたらよいか見当がつかない。そこで結局、渓流が眺められる竹林の中に住むこととなった。それでもたまに、海岸線を車で走ると気持ちが晴れる。また嵐のあと須崎の磯に行くとサメやタコがぐったりしていたり、魚をくわえたまま窒息したウツボが波に洗われていたりしておもしろい。ある時、自宅に小さな白い石が置かれてあったので、何気なく手に取ってみると石の口が開き細かい歯が並んで笑っているのが見え、背中がゾワッとした。これはいつだったか、私が海辺で拾ったものだった。岩の一部が付着した小さなシャコ貝のようなもので、その貝殻の口はギザギザになっており、自ら兆番をもっているので開け閉めができる。
さて、上の娘が幼稚園に上がりたての頃、しばらく車で送り迎えをしなければならなかったが、娘を送ってから迎えまではわずかの時間なので家まで戻るのも無駄である。そこは転んでもただでは起きない私のこと、迎えまでの時間を浜辺で冬場のストーブにくべる薪を拾うことにした。車を止め砂浜に降りていくと大小様々な流木が大量に打ち寄せられている。ふとひとつの流木が目に留まった。手にとってみると人が浜辺にうつ伏せに寝ながら上体を起こした形で、頭のあたりから細長いものが出ているのでストローで飲み物を飲んでいるようにも見える。組んだ足からそらせた背中のあたりは感じが出ているが、頭はアフロヘアーの人みたいに大きいし、右腕のつき方にも難がある。そこで、もしこれを削るか継ぐかして修正を加えていったら、これの持つ秘めたる力は失われてしまうだろう。そう考えると、先ほどの難点も想像を膨らませているようで、やはりこれはこの形で完成しているのかも知れない。不思議なのはこれがほとんど最初に目に飛び込んできた流木だったことだ。その後、他にもいいものがあるのではとしばらく流木の山を掘り起こし探してみたが、このストロー男(あるいは女)ほどの名品は見つからなかった。おそらく、この浜の数万か数百万かあるか知れない流木すべてを調べても、結果は同じではなかったかと思う。私が絵を描くため画面を眺めていると、ふと人の顔や何かの完全な部分を見つけることがある。それは私が頑張っても描けないやり方で、しかも一瞬にしてできている。流木も嫌味がないが、画面に偶然現れる形も不作為で鼻につくところがない。