古民家再生セルフビルド

さて、次はどんな建物にするかが問題だ。当初、ログハウスなら構造も割と単純で素人でも組み立てられるのではと考えたが、どうもあのバタ臭さが鼻についた。そのうち書籍を通じて、一棟ずつ違った表情をもつ古民家の世界を知ることになる。私は退職するとすぐ、それは2000年の夏だったが、福島県昭和村の小林政一さんが主宰する古民家解体学校に数週間参加した。ここで実際に古民家と古材に触れることになったわけだが、150年あるいはそれ以上昔の人の手仕事が感ぜられ、煤けた板一枚にも思慕を覚えた。そこで南会津にあった曲がり家の馬小屋を2棟譲り受け、伊豆七滝の地にその骨格を移築してもらう。その後、屋根をふくまでの間、地元の大工さんを頼み、自分も手伝いながら仕事をま近かで見せてもらう。家を建てるというと大工仕事ばかりに目が行きがちだが、傾斜地を整地し、基礎工事なども相当に費用のかかるものだ。このままでは手持ちの資金が不足するということから、以後セルフビルドすることになる。古い家が解体されると聞けば、行って床板などを頂戴し、農家の稲刈りの手伝いをして稲わらを頂戴し、土と混ぜて土壁を塗った。たまたま取得した土地が竹林だったので、竹を利用して土壁の小舞をかくこともできたし、外周の足場にもなった。後に風呂を沸かす燃料になり、竹炭を焼くこともできた。家作りの最初の半年は車で10分ほどのところにプレハブを借り、通ってやっていたが、その後は建設中の家に住み始めた。そんな中で長女が生まれたのが11月、赤ん坊を病院から家に連れて帰ると、妻はモンゴルのパオに寝る赤ちゃんのように衣類でぐるぐると巻いた。壁は一部ブルーシートのままで雨風が強いと寝ている額に雨が霧状に降りかかった。

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古民家解体の一コマ。左から2人目が小林さん、右が私。

笑いあり涙ありというわけで、おおよそ再生に8年の年月がかかった。当初、素人が日本の伝統工法で家を建てるなど無理と思われたが、わからないところは古材が教えてくれた。つまり古材にはすでにほぞ穴などの痕跡が残っているのだ。例えば、土台に使われている部材が直角に結合するまさにその部分に、さらに柱を建てるためのほぞ穴が開けられる。その寸法の取り合いはどうなっちゃうんだろうと思うと、そんなところに使われていた古材が転がっており一目瞭然。また、古来の工法が洗練され、理にかなっているということ。例えば土壁の下地である小舞の間隔などがそうである。小舞の間隔は狭すぎても駄目で、土が裏側までグニュッと突き出るくらいないといけない。裏に突き出たところをなでることによって固まった時に引っ掛かり、はがれ落ちることがない。
私が古民家にたどり着いたのは必然と言えるかもしれない。なにせ私の絵は「真白いキャンバスに自由に描く」ではなく、「思い切り汚れた画面から絵を作る」のであるからして。