竹林の隠れ家レストラン
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マーフィーの戦い(前篇)

芸大の三年間は自分の中では得るものが大きかったが、さしたる成果も出せなかったので再び、これから先について考えなければならなかった。そもそも大学で美術を指導することは最終目標ではなく、私が求めているのは絵を描くこと、自由を …


私の絵の方法

油絵の技法は対象をそっくり再現するために開発されてきたもので、ものの陰影を頼りに下塗りから手順を踏んで塗り重ねていく。その上、厄介なことに油絵具はなかなか乾かない。まあ乾ききらないうちに画面上で絵の具を混ぜ階調をつくると …


おはらい

1995年、京都で行われた国際インパクトアートフェスティバルに出品し、そのオープニングパーティーか何かに参加した時のことだ。初対面の3~4人の出品作家とテーブルを囲み、互いに自己紹介していたところ、そのうちの一人の女性が …


廣利先生のこと

群馬大でもっぱら青春していた私には芸大の学生は在学中から自分の表現をつかむことに貪欲だと思われた。それは学部の後に大学院があり、そのまま助手や講師となって残る猛者(もさ)たちがいるという人環境が大きいと思う。当初、私は教 …


山口のおばさん

上京した私は京成お花茶屋の駅に近いアパートを借りたが、2カ月ほどでそこを出ると彫刻科の先輩の紹介で大学に近い谷中墓地に面した第一青葉荘の4畳半に下宿した。ここに山口チホという元気なおばさんがいた。おばさんは当時67か68 …


夢の日々

一浪して地元の群馬大学(教育学部美術科)に入学する。前橋市田口町の渚荘に下宿し、念願の一人暮らしを始める。当初、渚荘の下宿の仲間は私を入れて3人いたが、交代で風呂の掃除を沸かし、晩飯を作ったことが懐かしい。大学生協でレコ …


デッサン修行

高校2年の時、進路を尋ねられても何もやりたいことがない。それであれこれ考えてみると、私は子どものころから何をやっても駄目だったが、美術だけは苦労せずともうまくでき自信もあった。兄も美大で油絵を専攻していた。そこで自分の得 …


中学の恋

私が中学生の時、学年集会で皆が集合させられているなか、ある男子生徒と女子生徒が一緒に下校したということで学年主任かなんかから注意を受けたことがあった。「学校は勉強するところなのにたるんでいる!」とか言われて、戦時中みたい …


悪魔のような歯並び

私は中学卒業まで常にクラスで一番背が低く、体育が苦手で、鉄棒や跳び箱、冷たいプールなどが怖かった。またひどい出っ歯でかみ合わせが悪く、胃腸も弱かった。しばらく寝小便もしていて、他人に言えない秘密だった。前橋の北、大胡とい …


猫の皮、母のひじ

父が亡くなったことは私にとって受け入れ難いことだった。当時私は東京の児童館に勤めており、自転車で通っていたが、信号などで止まると空を見上げ、父を思うと泣けてきた。母も同様に悲しんでいたはずだったが、薄情な私は母をいたわら …