カズンダリルホール

私は子どもの頃、あの独特の味のニシンが好きではなかった。ところが成人して、立ち食いそばのニシンのおいしいさに気づき、伊豆に来て子持ちニシンを炭火で焼くと最も好きな魚になってしまった。くせや何か引っ掛かりを感じるものの方が、振り子が逆に振れた時、特別好きなものになるということがあるようだ。そういえば私が後年好きになったブリューゲルやボッシュの絵にも、ニシンが度々登場する。前にも書いたが、大学時代にピエール=ボナールが突然自分の中に入ってきて、まるごと了解できたように感じた。それまでも画集を通じてボナールの絵を見ていたが、ある日を境に評価ががらりと変わってしまったのだ。こういう出会いは音楽でもあった。例えば、ダリルホール&ジョンオーツがそうだ。大学時代にレコードをレンタルして聞いたが、最初のうちは音が突然飛び跳ねたりして何だかおかしな印象を持っていたが、いつの間にかソウルフルで斬新でかっこいいと感じるようになり、結局私にとって特別なミュージシャンになってしまった。絵画でも音楽でも映画でも、また文学でも、好きな作品や作家が見つかるというのは自分の趣味を表すものだし、能力と言っていい。そしてこの作品やアーティストが自分を作っているとさえ思われる。私が絵画を制作する際には、しばしば好きな作家を意識する。私の方法では偶然見つけた断片からその先を予測し形を作っていくのだが、その際「これはボッス風だ」とか「レンブラントの再来だ!」とか思いながら描くことがある。私は美術ファンでもあるのだ。美術に限ったことではないが、過去の作家の模倣なしには新たな地平は望めないだろう。では音楽が私の絵にどのように影響しているかというと難しい。ホール&オーツのような絵画と言っても・・・。彼らのようにソウルフルで斬新でかっこいい作品を作りたいと思うくらいだ。調べてみると私は1991年のホール&オーツのライブと1994年のダリル=ホールのライブに行っている。生で聞く彼らの音楽は迫力があり、私はまるで好きな作家の展覧会にいるみたいに興奮し、自分もこうしてはいられないと感じていた。隣にいた彼女はそんな私を察して叫べというので、思い切って「ダリルーッ!」とやってみた。すると周囲にいた数人の観客が私の方を微笑みをもって見た。ホール&オーツのかっこよさが分かっている人は他にもいたのだ。私はライブを見に来ていた人たちの顔を観察し、自分とだいたい同じような年齢である彼ら彼女らを見て、いとこにしばらくぶりであったような気恥かしさを覚えた。