肉月

私は南会津にあった築150年の古民家の骨組みを伊豆の竹林に移築し廃材を利用してこつこつと作ったが、ほぼ完成となるまでに8年もかかった。壁ができてしまうまでの間は、夜になると滝壺に落ちる川音が聞こえ、竹林とそこに浮かぶ月が身近に感じられた。その頃最初の娘ができ、私は妻とともに娘の名前を考えていた。白川静の字源辞典「字統」をあたると、宵の字を見つけた。歴史的な背景はわきに置くとして、宵とは月の光が家の中に差し込む様子と解釈した。これは私たちの暮らしを象徴しているように思われ、この字を使いたいと考えた。宵につながる呼び名を考えるのに苦心したが、子が先に来るのも斬新ではないかということで「子宵(こよい)」とした。さて、この古民家は後に、私の絵画を展示する肉月美術館と併設のレストランとなったが、当初この肉月は食堂の名だった。この名前の由来を説明するとこんな感じだ。もともと服や朕などの漢字の偏である月偏は三日月を象形したものらしい。一方、全く同じ形でありながら脳・脈・腹など身体に関する漢字を作る「にくづき」は切り取った肉を象形したものだという。三日月と切り取った肉という全く別のものが、結果としていずれも月という形に収れんしていったことに不思議を感じる。私は漢字を作った太古の人たちが月と身体の結びつきを身体感覚で捉えていたからこそ、このような離れ技をやったのではないかと考えている。「肉月」はこのような考えを表す言葉として私が作ったもので、同時に月の光を浴びながら竹林の中にひっそりと建つ古民家レストランをイメージしその名とした。2013年美術館がオープンし、「肉月」の名を引き継いだが、その際新たな意味をつけくわえた。私は一般的に絵画に描かれる対象がパターン化していると思っている。それはワンピースを着た女性であったり、皿に盛られた果物だったり、牛骨だったりする。私はそういった人々が安心するようないわゆる花鳥風月に対抗して、自分がこれまでに経験したみじめでみみっちいこと、あるいは傲慢や肉欲も絵になりうるというメッセージを込め、肉月とした。


この際、次女の名前についても整理しておこう。名を「息吹」という。息という漢字について、かの「字統」によれば、自は鼻の形を表し、「心の状態が気息にあらわれる意。」とあって、かねてよりヨガや呼吸法に関心がある私は、この息という漢字の成り立ちが気に入った。一緒に使われる吹は人が口を開いて息を吹く形である。「息吹」で決まりと思ったが、当時の自民党の幹事長や水戸黄門の伊吹吾朗が連想され、しばらく躊躇していた。竹を間伐しながらあれこれと名前を考えていた私は、向かいの山の紅葉した木々に陽があたっているを眺めた。そして山の息吹や自然の息吹などから、この風景を見ながら育つであろう娘に息吹という名をつけることは必然があると感じた。