竹林の隠れ家レストラン
営業時間11時~16時|電話番号:0558-36-8505

デッサン修行

高校2年の時、進路を尋ねられても何もやりたいことがない。それであれこれ考えてみると、私は子どものころから何をやっても駄目だったが、美術だけは苦労せずともうまくでき自信もあった。兄も美大で油絵を専攻していた。そこで自分の得 …


中学の恋

私が中学生の時、学年集会で皆が集合させられているなか、ある男子生徒と女子生徒が一緒に下校したということで学年主任かなんかから注意を受けたことがあった。「学校は勉強するところなのにたるんでいる!」とか言われて、戦時中みたい …


悪魔のような歯並び

私は中学卒業まで常にクラスで一番背が低く、体育が苦手で、鉄棒や跳び箱、冷たいプールなどが怖かった。またひどい出っ歯でかみ合わせが悪く、胃腸も弱かった。しばらく寝小便もしていて、他人に言えない秘密だった。前橋の北、大胡とい …


猫の皮、母のひじ

父が亡くなったことは私にとって受け入れ難いことだった。当時私は東京の児童館に勤めており、自転車で通っていたが、信号などで止まると空を見上げ、父を思うと泣けてきた。母も同様に悲しんでいたはずだったが、薄情な私は母をいたわら …


栄一のこと

父、栄一は昭和2年生まれ、長男で下に妹が3人、弟が一人いた。父は鼻筋が通り目が大きく、家族や親戚筋の間では藤田まことか高松秀夫に似ていると言われていた。子どものころは相当な悪ガキで、祖母らの話では、そろばんを両足にはき他 …


ホルモン天井

私が育ったのは高崎市大橋町というところで、信越線の北高崎駅から歩いて5分ほどのところに生家があった。家は物資の乏しい時代に、祖父が苦労して建てたということだ。当時は周囲に人家もなく、今では信じがたいが鹿が見られたという。 …


しちふり

私は谷中で14年ほど暮らしたが、どこか温泉の湧く田舎で暮らしたいと思い、あちこちを見て回った。そして2000年に伊豆の河津に移住したが、決め手は伊豆の海と河津川であった。 私たち家族はふだん野外に設置した五右衛門風呂に入 …


清のスタイル

私は福島県の伊南村と南郷村にあった古民家(そのひとつは築150年という)の骨組みを伊豆の河津に移築し、自分で土壁を塗り解体現場でもらった廃材で床をはるなどし8年がかりで再生させた。また石と土で炭焼き窯を作って竹炭を焼き、 …


清とゆき

私が一緒に暮らした父方の祖父は、明治33年の生まれで、名を清と云った。清は小学生の時、特待生で本人は進学を希望していたようだが親の言いつけで呉服屋に丁稚奉公した。短気な性格だった清は客とけんかしてその客を布団にくるむと二 …


三角野郎

次女は1歳になったばかりのころ突然病気になり、2ケ月も静岡のこども病院に入院した。私と妻は病院に隣接した施設の一室を借り、交替で付き添うことになった。まだ幼い次女はもちろん辛かったと思うが、5歳になる上の娘にとっても、家 …