中学の恋

私が中学生の時、学年集会で皆が集合させられているなか、ある男子生徒と女子生徒が一緒に下校したということで学年主任かなんかから注意を受けたことがあった。「学校は勉強するところなのにたるんでいる!」とか言われて、戦時中みたいな話だけれど。こういう環境だったからというわけではなかろうが、私は全く晩熟(おくて)だった。
当時、美術の教科書に青木繁の「海の幸」という油絵が載っていて、漁師の男たちが長い棒に巨大なサメを乗せそれを担いで運んでいる行列の中に、一人の娘がいてこちらを見ている絵なのだけれど、私は秘かにその絵の娘に恋をする程度だった。またそのころ私は、風吹ジュンが好きになり友達と二人でブロマイドを手に入れようとデパートやあちこちを探し回ったことがある。友達は岡田奈々のファンだった。何とも道遠しといった感じだ。
そんな私だったが中3の頃、ひとつ下のテニス部の女の子に恋をした。私は3階の教室で授業を受けている時に、その子がグランドでハードルを飛び越えているのを見つけ、そのお下げ髪を目で追ったりした。授業が終わり、その子が水道の蛇口から水を飲んでいるのを見つけると、場所を覚えておいて下まで降りていき、同じ蛇口で水を飲んだりもした。
ある日のこと全校生徒が体育館に集められ、背の低い私はクラスの一番前の席に座っていた。そこへその女の子が走って来ると他の子とぶつかり、名札を落としたまま気づかず行ってしまった。これは彼女の名前を知るまたとないチャンスである。それでも私はそれを拾おうか躊躇していた。ところが隣のやつが名札を拾う動作に入った瞬間、私は弾かれるように席を立ち、それを拾ってしまった。私はその名前を何度もノートに書き胸に刻んだ。しかし結局、コンプレックスが強く自信の持てない私がしたことは、校庭か体育館のようなところに大勢の生徒がいる中に彼女を見つけると気づかれぬように近づいていって肩と肩とをすれ違うことくらいだった。そしてあの学年主任が言うように、ただ受験勉強だけをして高校へ行ってしまった。
高校は男子校で私は美術部にいたが、そこへ彼女のことを知っていると思われる後輩が入部してきた。私は彼女の名前をそいつに告げ尋ねてみると、後輩の男は怪訝な顔をし、その名前の子は全くぱっとしない子だという。私はその時初めて、自分が拾ったのは彼女のではなく、彼女がぶつかった相手の名札だったことに気づいたのである。

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英和辞典に貼っていた風吹ジュン