しちふり

私は谷中で14年ほど暮らしたが、どこか温泉の湧く田舎で暮らしたいと思い、あちこちを見て回った。そして2000年に伊豆の河津に移住したが、決め手は伊豆の海と河津川であった。
私たち家族はふだん野外に設置した五右衛門風呂に入っているが、冬場は寒くてかなわない。そこで一時期、河津川の中流域にある「湯が野」の共同浴場を使わせてもらっていた。あの小説で踊り子が手を振った温泉だ。上の娘が4歳の頃、風呂に入る前にペットボトルで魚を獲る仕掛けを作り、するめを入れて川に沈めておいたことがあった。風呂から上がった私は月光の下、長女の手を引きながら石をつたい、仕掛けておいた紐を見つけた。娘が紐をたぐると何かがバシャバシャッと激しく暴れる。ボトルの中には20センチほどの青白く光る魚が窮屈に体を曲げ、何とか逃げようともがいているのだった。家に持ち帰り水槽に放つと、まるであの暗い河津川をそのままのぞいているような気がした。その魚はどうやらウグイのようだったが、数日後には死んでしまった。今、この水槽には夏に海で捕まえた小魚たちを入れている。私が水槽の前に椅子を置いて座り、働きもせずいつまでもこれを眺めているので、妻はさぞかし不安を感じていることだろう。
私が高校まで過ごした大橋の家の庭には池があって、コイやフナ、ハヤ、金魚なんかがいた。金魚以外の魚は川で捕まえたものだったろう。私も小学生の頃何度か父に連れられ川釣りをした。ある時、父が釣ってきたライギョを何匹も入れたことがあったが、翌朝見てみると池の外に跳ね全て死んでいた。普段、池の水は緑色に濁り金魚が動くのがやっと分かる程度だったが、年に一、二度父がバケツで水をかき出し掃除をした。この池は祖父と父が作ったもので、魚が隠れられるように奥まったところに窪みがあって何とも心憎い。その窪みに逃げ込んだ魚を手でつかんでバケツに入れ、空き缶を使ってたまった水をかぽっかぽっとかき出した。魚を探る感覚を覚えているので、たぶん私も何度か手伝ったのだろう。そうやって新しい水に魚が放されると、魚たちがすっかり見え面白かった。
ある日、大きな鯉をもらうかし、泥を吐かせるため浴槽に放したことがあった。買ってきたドジョウやアサリがバケツや洗面器の中にいるだけでも何となくうれしいのだから、これには興奮した。それを父がさばいて、鯉の洗いを作った。また正月など新巻鮭を手に入れると、父がさばいて頭部から軟骨を取り出し酢につけた。大人たちはこれを「はなづら」と呼び珍重していた。
気づいてみれば私は魚を捕まえたり、それを飼って眺めたりするのがやたらに好きだ。幼い日の裏の川での魚獲りに始まるもろもろの魚体験が原因と思われる。

「はなづら」と同様に冬場の情景として覚えているのが、父たちが白菜、たくわん、しゃくし菜などを木の樽にいくつも漬けていたことだ。それを母屋の裏手にあった暗い物置小屋に保管した。ここは地面そのままに湿っており、カマドウマがたくさんいた。これは逃げるつもりが人の顔の方に跳びかかってくる。バッタ類はその膝が逆に向いていることから総じて恐ろしい。
私の家では正月の雑煮に白菜の漬物を入れるならわしで、「しちふり」と呼んでいた。「しちふり」とは変ったものというような意味らしいのだが、家人もこの雑煮を誰が始めたかは分からない様子だった。祖父の先祖の出身は、桑名か近江あたりということなので、いつか「はなづら」と「しちふり」を手掛かりにかの地を旅してみたいと思っている。