竹林の隠れ家レストラン
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栄一のこと

父、栄一は昭和2年生まれ、長男で下に妹が3人、弟が一人いた。父は鼻筋が通り目が大きく、家族や親戚筋の間では藤田まことか高松秀夫に似ていると言われていた。子どものころは相当な悪ガキで、祖母らの話では、そろばんを両足にはき他 …


ホルモン天井

私が育ったのは高崎市大橋町というところで、信越線の北高崎駅から歩いて5分ほどのところに生家があった。家は物資の乏しい時代に、祖父が苦労して建てたということだ。当時は周囲に人家もなく、今では信じがたいが鹿が見られたという。 …


しちふり

私は谷中で14年ほど暮らしたが、どこか温泉の湧く田舎で暮らしたいと思い、あちこちを見て回った。そして2000年に伊豆の河津に移住したが、決め手は伊豆の海と河津川であった。 私たち家族はふだん野外に設置した五右衛門風呂に入 …


清のスタイル

私は福島県の伊南村と南郷村にあった古民家(そのひとつは築150年という)の骨組みを伊豆の河津に移築し、自分で土壁を塗り解体現場でもらった廃材で床をはるなどし8年がかりで再生させた。また石と土で炭焼き窯を作って竹炭を焼き、 …


清とゆき

私が一緒に暮らした父方の祖父は、明治33年の生まれで、名を清と云った。清は小学生の時、特待生で本人は進学を希望していたようだが親の言いつけで呉服屋に丁稚奉公した。短気な性格だった清は客とけんかしてその客を布団にくるむと二 …


三角野郎

次女は1歳になったばかりのころ突然病気になり、2ケ月も静岡のこども病院に入院した。私と妻は病院に隣接した施設の一室を借り、交替で付き添うことになった。まだ幼い次女はもちろん辛かったと思うが、5歳になる上の娘にとっても、家 …


西小界隈

私は高崎市の西小学校に通った。校舎の裏手を信越線の線路が走っている。私には担任の教師の言っていることがほとんど理解できなかった。入学当初は「トイレに行きたい。」ということが言えず、大小を漏らした。私の机の中には家に持ち帰 …


裏の山、裏の川

家の裏手に丸石とコンクリートで護岸された幅2~3mの水路があった。生活排水も流れ込み汚れていたが、私は「裏の川で遊んでくる」と言っては、ここで魚やザリガニなどを捕まえて遊んだ。トノサマガエルやオタマジャクシなんかはたやす …


シーモンキー

38歳の時、私は東京谷中から伊豆の山中に移住した。まことにここは虫好きにはたまらないところで、少し苦手の私でさえ図鑑でしか見たことがなかったゾウムシやナナフシ、玉虫なんかを生で見て喜んだ。ある夏の夜、カブトムシをそのまま …


ラッパ象

幼稚園に通う5歳の娘は、ものごとをよく理解しており、この記憶を大人になるまでそっくり持って行くのではないかと思われるほどだが、私の最初の記憶となると頼りない。私の父は長男で祖父母と暮らしていたから、夏休みなどに父方の叔父 …