西小界隈

私は高崎市の西小学校に通った。校舎の裏手を信越線の線路が走っている。私には担任の教師の言っていることがほとんど理解できなかった。入学当初は「トイレに行きたい。」ということが言えず、大小を漏らした。私の机の中には家に持ち帰り親に見せなければならないプリントだの食べ残しのパンだのがぎゅうぎゅうに押し込まれ、机の周囲には教科書や脱いだ服などが散乱していたので、母は「あたしゃ学校に行くのが嫌だよ。」とこぼしていた。仲の良かった友人でさえ私に「おまえは何をやっても駄目だなあ。」とつくづく言ったことがあった。そんな私が救われたのは木造校舎の階段の下の暗がりや妖怪が出そうなトイレだった。そこは実際に自分が隠れるということではなく、心が逃げ込める場所だった。普段と違う天候も何かぞくぞくさせた。厚い雲が空を覆い、昼間なのにまるで夕方のように暗い日。風が強く、校舎の裏にある立ち木をざわめかした日。下校時は少し元気が出た。当時はテレビで「コンバット」などの戦争ものやインディアンと戦う騎兵隊の映画などをよく見たが、私は兵士になったつもりで傘を銃のように抱え、時折ものかげに隠れながら帰った。冬場はコートを軍服に見立て、降り積もった雪のなかを行軍するのは気分が乗った。西小の正門の向かいに建物に挟まれた水路が流れていて、金網で閉じられていた。ある日の下校時、私はここを通れば近道になると思い、冒険に出た。金網の下のすき間をくぐり抜け、水路のわきを通り、塀を乗り越えたりしながら行くとセメント工場のようなところに出た。男たちが働いており見つかることは必至だったが、後戻りするわけにもいかずそこを歩いていくと、やはり叱られた。からっ風の吹く冬は空気が張りつめた感じで、榛名山がはっきり見える。誰か友達と一緒だったか、私一人だったか定かでないが、山を目指して歩いたことがあった。歩くほどに山が近づき、澄んだ空気をはさんで中腹に建つ家々の様子まで見えるようになったのを覚えている。西小の裏を走る線路で犬が轢かれているというので皆で見に行ったこともあった。また、私が高学年の頃だったと思うが、若い男女が高架橋の下でキスをしているというのでこれも皆で見に行った。しかし私たちが着いた時にはもう終わっていて女の方は男に背を向けるかして黙ったままだ。何か危険な感じがして頭の中を麻丘めぐみの歌が鳴り響く。
「もしもあの日、あなたに会えなけれっばーこの私はどんな女の子になっていたでしょ 街から街 行くあてもないのにただ歩いていたでしょ(中略) 悪い遊び覚えて、いけないこと うううん もうあなたのそばを離れなーいわー 離れなーいわー 離れなーいわー」