私の絵の方法

油絵の技法は対象をそっくり再現するために開発されてきたもので、ものの陰影を頼りに下塗りから手順を踏んで塗り重ねていく。その上、厄介なことに油絵具はなかなか乾かない。まあ乾ききらないうちに画面上で絵の具を混ぜ階調をつくるということもあるようだが。大学時代、油絵の技法を習得しようとしたが、私にはこういう積み重ねは無理だった。今から思えば、日本画の方がすんなり受け入れることができただろう。だいたいカメラなら一瞬でできることを、我慢して再現することにどんな意味があるのか。不遜な私は当時こんな風に考えていた。私は一時期、自分の引く一本の線にも自信が持てないことがあって、美術が得意だと思って進んできたが、あれは思い込みで実は美術から最も遠い人間なのではと思ったりした。私は自分の目指す方向を模索し、大学の図書館で画集を眺めたりしていたが、ある日のことピエール・ボナールの絵が急に自分の中に飛び込んできた。それまでボナールの印象は「形がグニャグニャしてしまりがない」くらいのものだったが、突如として画家のやろうとしていることが理解できたきがした。ボナールは即興という点で印象派の流れをくんでいるが、景色を前にしてのスケッチは簡単なメモ程度で、制作はアトリエで行われた。実際の色からは自由でいて一枚の絵としての秩序を作り上げる。私は「エウロペの略奪」なんかが特に好きで(といっても実物を見たわけではなく図版だが)、眺めていると自分がじわじわと絵の中に入り込み、波の音が聞こえるような気がした。すっかりボナールに傾倒した私は、学内で恋をしてはかわいい女の子をスケッチし、下宿でボナールを真似て描いた。その良さが分かることと自分で描くことの間には大きな開きがある。ボナールに固執し何年も続けたが、表面をなぞるだけでいっこうに深まらなかった。芸大に行ってもしばらくはボナールを続けていたが、上手く行っていないことはわかっていた。周りに多くの作家がおり、作品を見られる環境にあって、幼い私も多くの影響を受けた。リトグラフの渋谷和良さん、銅版の綿引明浩さんは美教の助手だったし日本画で現代美術をやっていた村井俊二さんは同窓だった。1987年の卒展で見た大西博さんの作品には衝撃を受けた。ニューペインティングの作家たちやジョナサン・ボロフスキー、アンゼルム・キーファー、デビッド・サーレなどもこの頃知った。またボナールとは対極と言えるかもしれないピーター・ブリューゲル、サルバドール・ダリ、あるいはフランシス・ベーコンなども好きになっていた。大学を離れるころ、私にとって転機となるような展覧会が二つあった。ひとつは1989年に六本木のストライプハウス美術館で行われたVIKINGと題された虎尾隆の展覧会だ。印刷物のインクを一部消したり貼り合わせたりした上にドローイングを加えて形を作ったもので、人の顔に見えたものも近づいて見ると、まったく関係のない写真の陰影であることがわかる。私は「これがあったか!」と、すぐに作家のやろうとしている意図を理解できた気がした。偶然見えた形を絵にするのだから、ものの再現を予定したものではない。またこうして立ち上るバイキングとか原始のイメージが自分のテイストに合っていた。もうひとつは1991年の西武アートフォーラムでの大竹伸朗の展覧会で、特にプラスティックを使った「網膜」と題されたシリーズである。一般に絵画に描かれた人物や風景は絵を描くための方便であることが多い。それが人物画であったら一定方向から光があたり、分厚いファンデーションを塗ったような肌をしている。だから絵画に描かれたものより、実際の肌や紅葉した葉、濡れた石やカエルなどの自然の方がもっとすごい色をしている。ところが大竹伸朗の作品群は、作家がなかばオートマティックなやり方で作ったものでありながら、まるで生き物の膜がそこにあるような美しさだ。私は早速、合成樹脂の材料を買い込み、狭い下宿で実験を試みたが、そのすさまじい臭い(歯科医で奥歯の治療の際に嗅ぐことのできるあの臭い)にたまらず断念する。それでも何とか半透膜を手に入れたい私は、池田満寿夫がやっていた方法を思い出す。それは雑誌のグラビアを石油で溶かし出し、紙にフロッタージュするものだ。そこで、溶かしたインクを木工用ボンドに転写し半透明のシートを作るとこれが上手くいった。このシートを重ねて判然としない画面を作りしばらく眺めていると、ところどころに顔や何かの形の断片が現れた。この断片は虎尾隆のそれと同じく、もともとの写真とは別のものに見えている。つまり写真をコラージュとしてではなく素材として使っている。この断片の中には、とうてい私が描けないような命の輝きが見えることがある。そしてこの断片はそれぞれ光の当たり方や表し方が異なるが、途中まで描き方を教えてくれているので、そのやり方を真似て描き進めればいいわけだ。この断片は私がそれを見つけた時点で、自分が描いたに等しい。この絵の作り方は遺跡や化石の発掘に似ているかもしれない。見つかった破片のその先を無理に作ってしまうとたちまち最初の生命力が失われてしまう。例えばあるかけらは頭髪がなく肩のあたりから布をまとっているような形なのでソクラテスを連想させた。ところが胸の部分がへこんでいるなど難点があるのでうかつに補筆すると途端につまらないものになってしまう。当初このシートが画面からはがせるのをいいことに、キャスト(断片をもとに描いた人や風景の一部)をハサミで切り取って別の画面に再構成するなど不正直な行いを繰り返したため、一枚の絵がいっこうに完成しなかった。数年して切り貼りは絵の方法として筋が悪いと思い直し、最初の画面だけで絵を作ることとした。私は最初に何かを描こうと決めず、たまたま見えたかけらを修復することで物語を作る。このように言わば、しみを追いかけるような手法でいかに面白い物語を描けるかに興味がある。私は絵の下地に月刊プレイボーイ誌とかペントハウス誌などを使っているが、それら男性向けグラビア雑誌は、女性のヌードから政治、世界の紀行、戦場のルポまでというように幅が広い。男の興味は女性の裸だけにあるのではないということか。私の手法では写真をコラージュとして使うことはないのだが、出来上がる絵は期せずして某男性向けグラビア雑誌と同様にバイオレンスから冒険もの宇宙もの、あるいは恋愛からセックスまでと幅が広い。こう言うとハリウッド映画のようでだが、目指すところは心にしみる絵だ。