夢日記と勘違い
上の娘が2歳くらいの頃、言葉を間違えて覚えることがあった。私たち夫婦はそれを直して教えてしまうのが惜しくてしばらく家庭内で娘が作った言葉を使っていた。それは例えば、おだいま(ただいま。お帰りとただいまが合わさったものか。 …
上の娘が2歳くらいの頃、言葉を間違えて覚えることがあった。私たち夫婦はそれを直して教えてしまうのが惜しくてしばらく家庭内で娘が作った言葉を使っていた。それは例えば、おだいま(ただいま。お帰りとただいまが合わさったものか。 …
私は子どもの頃、あの独特の味のニシンが好きではなかった。ところが成人して、立ち食いそばのニシンのおいしいさに気づき、伊豆に来て子持ちニシンを炭火で焼くと最も好きな魚になってしまった。くせや何か引っ掛かりを感じるものの方が …
海にあこがれて伊豆に住むことにしたが、海辺に暮らした経験がないのでどうしたらよいか見当がつかない。そこで結局、渓流が眺められる竹林の中に住むこととなった。それでもたまに、海岸線を車で走ると気持ちが晴れる。また嵐のあと須崎 …
さて、次はどんな建物にするかが問題だ。当初、ログハウスなら構造も割と単純で素人でも組み立てられるのではと考えたが、どうもあのバタ臭さが鼻についた。そのうち書籍を通じて、一棟ずつ違った表情をもつ古民家の世界を知ることになる …
芸大の三年間は自分の中では得るものが大きかったが、さしたる成果も出せなかったので再び、これから先について考えなければならなかった。そもそも大学で美術を指導することは最終目標ではなく、私が求めているのは絵を描くこと、自由を …
油絵の技法は対象をそっくり再現するために開発されてきたもので、ものの陰影を頼りに下塗りから手順を踏んで塗り重ねていく。その上、厄介なことに油絵具はなかなか乾かない。まあ乾ききらないうちに画面上で絵の具を混ぜ階調をつくると …
1995年、京都で行われた国際インパクトアートフェスティバルに出品し、そのオープニングパーティーか何かに参加した時のことだ。初対面の3~4人の出品作家とテーブルを囲み、互いに自己紹介していたところ、そのうちの一人の女性が …
群馬大でもっぱら青春していた私には芸大の学生は在学中から自分の表現をつかむことに貪欲だと思われた。それは学部の後に大学院があり、そのまま助手や講師となって残る猛者(もさ)たちがいるという人環境が大きいと思う。当初、私は教 …
上京した私は京成お花茶屋の駅に近いアパートを借りたが、2カ月ほどでそこを出ると彫刻科の先輩の紹介で大学に近い谷中墓地に面した第一青葉荘の4畳半に下宿した。ここに山口チホという元気なおばさんがいた。おばさんは当時67か68 …
一浪して地元の群馬大学(教育学部美術科)に入学する。前橋市田口町の渚荘に下宿し、念願の一人暮らしを始める。当初、渚荘の下宿の仲間は私を入れて3人いたが、交代で風呂の掃除を沸かし、晩飯を作ったことが懐かしい。大学生協でレコ …