三角野郎
次女は1歳になったばかりのころ突然病気になり、2ケ月も静岡のこども病院に入院した。私と妻は病院に隣接した施設の一室を借り、交替で付き添うことになった。まだ幼い次女はもちろん辛かったと思うが、5歳になる上の娘にとっても、家族が突然ばらばらになるような不安を感じたことだろう。その夜は私が家にいて上の娘の隣で寝たが、娘は「父ちゃんと母ちゃんがいなくなったらどうやって生きていったらいいの?」と言って泣いた。そして「父ちゃんと母ちゃんが死んだら一緒に死ぬ。」とも。
大学時代、私と親友の佐藤享弘(みちひろ)君はそれぞれ近所に下宿していた。夜、佐藤君がアルバイトから帰り、その部屋の明かりがぼんやりともるのが見えると私は出かけて行って妙に落ちつく彼の部屋で話をしたものだった。ある時、佐藤君が私に死に対する恐怖を打ち明けたことがあった。同じ悩みを抱える友がいるというのは安らぎで、私は自分がまるでその恐怖を克服したかのように佐藤君を励ましたりした。
私が初めて死を意識したのは小学校の何年生くらいだったろう。その日は近くで盆踊りが行われており、私の部屋まで東京音頭や八木節の音楽が聞こえてきていた。「アアーーーーアアアーアッアーーーアッアッ!ちょいと出ました三角野郎がっ!」私は当時、三角野郎とはどんな野郎かと思っていたが、最近たまたまテレビで「ちびまる子ちゃん」を見ていて謎が解けた。三かく三角ではなく、義理を欠く、人情を欠く、そして恥をかくだそうだ。さてその日の夕刻、私は二階の部屋に一人でいたのだが、スピーカーから流れる盆踊りの唄を聞いているうちになぜか死について考えてしまい「死ねば自分はこの世の中とつながりがなくなってしまう!」ということが意識され、とてつもない恐怖におそわれた。そして死は自分にも必ず訪れるのだ。盆踊りの歌を聴いて死を意識するというのも不思議な話かと思ったが、お盆なのだから当たり前かとも思う。歌がそういう風に作られているのかも知れない。その日をどういう風にやり過ごしたかは覚えていない。このことはその後も意識され、考えていくとやはり怖い。そこである日、自分なりの答えを出した。それは、こういうことを考えていたのでは日常生活が前に進まないので、ひとまず問題を棚上げし考えないことにするというものだった。そうやって今日まで生きてきた。同様に寝ることも怖いのだが、これも割り切って寝るほかない。
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