偏のひとつである「にくづき」は「脳」や「脈」など、体に関係した多くの漢字を作る。一方、同じ形で「月偏」というのもあって、これは「服」や「朕」などを作る。この二つの偏は、ふだん区別されていないが、「にくづき」が切取った肉を、「月偏」が三日月を形どったと言われている。私は太古の人が、月と身体との共振を感じていたから、別のものを同じ字に当てはめるといった離れ技ができたのだと思っている。
さて、美術館を肉月としたのは、私が絵に扱うものは、花瓶の花だとか、ワンピースを着て座る女の人だとかではなく、映画で扱うような人間の
ストーリーや感情なので、花鳥風月に対抗して肉月としたわけだ。